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木畑洋一『二〇世紀の歴史』(岩波新書)

 

二〇世紀の歴史 (岩波新書)

二〇世紀の歴史 (岩波新書)

 

 目次

序章 「長い二〇世紀」

第1章 支配ー被支配関係の広がり

第2章 帝国世界動揺の開始

第3章 帝国世界再編をめぐる攻防

第4章 帝国世界の解体

第5章 「長い二〇世紀」を後に

 

 

 

この本のキーワードは「長い20世紀」。もともと著名だったのは、イギリスの歴史家ホブズボームが打ち出した「短い20世紀論」。第一次世界大戦からソ連の崩壊までの怒濤の期間を「短い20世紀」と名づけている。本書とは関係ないが、松岡正剛の千夜千冊*1によれば

そのボブズボームが「短い20世紀」と言ったのは「長い19世紀」に対比した形容で、20世紀の本質は19世紀に形成されていたという観点を強調するためでもあった。

 ということだ。確かに、19世紀はヨーロッパ諸国の帝国主義が芽生え始めた時期であり、西欧が世界の覇権を掌握しようとしていた意味において、20世紀の本質は既に19世紀に醸成されていたという指摘は正しいのだと僕も思う。しかし、ソ連崩壊で20世紀の歴史を一区切りとするのには、あまりに短絡しすぎはしないかというのがこの本の目的とするところなのだ。第二次世界大戦までに作り上げられた帝国世界の構図が、大戦の終焉、冷戦という対立の時代を経て解体していく。その過程にもっと焦点をあてなければ、21世紀の世界につながる「歴史」にはならないのだろう。

 歴史を眺める上では様々な視角が存在するが、この本では「長い20世紀」をどのように位置づけているのか。著者は、本書の最後にこう綴っている。

人と人が差別されて、支配と被支配の関係が世界を覆い、その構造の下で二つの世界大戦を頂点として暴力が偏在していた時代。

  1870年代から顕著に見られるヨーロッパの政治的暴力(特にアフリカ分割、植民地拡大の暴力性)についての問題をこの本では議論の中心に据えている。*2

  そして、この本の面白い試みは、単に二〇世紀の通史を順に述べるだけではなく、「定点観測」のパートを各章の終わりに設けていることだ。アイルランド南アフリカ、沖縄という、大国のエゴがそこに住む人々の運命を大きく激しく揺り動かしてしまったという意味において共通する3つの地域の歴史について焦点を当てることで、「(ヨーロッパを中心とした国々の)政治的暴力(暴力性)」の輪郭をよりくっきりと映し出そうとしているのである。

満州事変に際し、帝国意識を共有するイギリスやフランスが、日本に対して帝国世界のなかでの支配国同士の共感とも呼ぶことができる姿勢を示すことがあったのに対し、本書で定点観測の地点としている地域の一つアイルランドは、国際連盟での日本に対する制裁の欠如を批判する姿勢をとった。

  イギリスという帝国のエゴに散々つき合わされてきたアイルランドは、日本の行動とそれに対する大国の対応の性格を容易く見抜いていたのだろうとする著者。現実に大国のエゴに振り回された立場の人からすれば、帝国世界の国々の暴力性を含む、そのやり口を見抜いてしまうのだろう。僕たちは平和な世の中に生きていて、「国家(政治)の暴力」を敏感に感じ取ることはなかなかできない。しかし、世界の人々が歩んできた前世紀、20世紀の歴史を学ぶことにより、ヨーロッパだけに限らずアジアやアフリカなどの諸地域、そして日本の各地にもきっと存在するであろう「政治の暴力性」を敏感に感じられるアンテナを得ることができるのだと思う。

*1:1365夜:ジョヴァンニ・アリギ『長い20世紀』

*2:暴力性については、何も直接的な植民地支配だけに見られることではない。第一次世界大戦の”総力戦体制”は当事国であるヨーロッパ列強諸国の資源(人、物)を大事にするためにアジア・アフリカの人々が「代用」されてきた事実が本書では取り上げられている。