脱力した人の日々。

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富増章成『考える力が身につく ディープな倫理』(中経出版)

 

考える力が身につく ディープな倫理

考える力が身につく ディープな倫理

 

 目次

1章 思い込みを破壊する選択肢問題(センター試験

2章 向かうべき道を指し示す選択肢問題(センター試験

3章 物事を裏読みする哲学

4章 自分を自由にコントロールする哲学

  目次のとおり、前半の1・2章はセンター試験の問題を引用し、高校「倫理」で習う哲学・思想のエッセンスの紹介。後半の3・4章は一橋大学筑波大学などの二次試験の問題からの抜粋。後半は、どんなふうに解答しようかと考えると哲学の基礎的教養を学ぶのに丁度良いかもしれない。”ディープな倫理”とはいうが、こりゃ深いなあーというほどでもなく、高校生が読んでも十分に面白く読めるレベルだ(と僕は思う)。でも、この本は「教養」のために読むというより、「倫理」を大学受験のために(特にセンター試験で)勉強した人に「倫理」という科目の本来の面白さ、有用さを伝えてくれるものだと僕は理解したい。

  まず、個人的な話をすると、僕は高校倫理を教えた経験があり、センター試験の問題を受験生に解説することも当然あった。この本を読むと、その時に感じた「倫理」という科目、いや「倫理」でセンター試験を実施することへの違和感を思い出すのだ。センター試験マークシート形式であり、答えは番号で選ばなければならない。この問題を眺めると答えの選択肢の文それぞれが「受験者をひっかけよう」とする意図なのか、どれもそれなりに立派に書かれている。しかし、「〇〇の考えるような理想の生き方とは何か?」という問題が出された場合には、1〜3の選択肢がどんなに解答者にとって魅力的な生き方であっても、「○○の考えるような」にふさわしいかどうかという点で4が正解となる場合がある。「倫理」とは自分にとってふさわしい生き方とは何かを考えるための勉強でありながら、センター試験では自分の好みの考えで「生き方」を答えてしまうと不正解に至るという不条理がある。だから、授業の際に、僕は「この選択肢も正しいこと書いているよね。」「でも、問題の意図にはそぐわないから不正解なんだよね」となぜか冷や汗をかきながら(?)、解説をしたことが二度や三度ではない。そして、この本でも、誤文の選択肢についてそういう説明の仕方をとっている箇所がある。著者も予備校などで同じ思いをしてきたのかもしれない。

 ここまで述べてきた「センター試験の倫理」については、実は本書でも触れられている。

 センター倫理には、人生について深く思い悩むと点数がとれないという、「倫理」という名前と矛盾するような場合がみられます。倫理的に考えすぎると「倫理」という科目はクリアできないという、ユニークな矛盾をはらんでいるのです。

 しかし、それがまた「センター倫理」の魅力でもあります。何しろ、「試験というシステムがこれでいいのか」ということを、試験そのものの存在が問いただしているといえるからです。

  高等学校の「倫理」という科目は、これまで狭い社会のなかで「共通のルール」「共通の価値観」に縛られがちだった学生たちに広い世界、多様な価値を紹介するという、社会に飛び込む前の世代にとっては実に有用な科目だと僕は思っている。それを受験で必要な科目だからと、「1つの正解を導き出す」ための勉強だけでは終わらせてしまうのはもったいない。僕らが生きている世界とは、かくにも多様な考えやものの見方が存在するのだと気づいたほうが人生が豊かになるのだ(これもまた人生についての”1つの考え”に過ぎないのだが)。受験科目(あるいは卒業に必要な科目)で必要なだけとしか考えていなかった「倫理」の奥深さについて、読む人に気づかせてくれるのがこの本の真の価値なのかもしれない。1日1項目、例えば『「啓蒙とは野蛮である」とは何か』をこの本を開いて考えてみて、じっくりと読んでみる時間を設けたい*1。「今の世の中って、こういう見方もできるんだ」と本を読みながら感じられれば、この本を手に取ってみた価値があるというものだろう。

*1:フランクフルト学派についての問題。というわけで(?)、次は中公新書フランクフルト学派』を僕は読みます