脱力した人の日々。

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細見和之『フランクフルト学派 :ホルクハイマー、アドルノから21世紀の「批判理論」へ』(中公新書)<前篇>

 

 目次

第1章 社会研究所の創設と初期ホルクハイマーの思想

第2章 「批判理論」の成立 ー初期のフロムとホルクハイマー

第3章 亡命のなかで紡がれた思想 ーベンヤミン

第4章 『啓蒙の弁証法』の世界 ーホルクハイマーとアドルノ

第5章 「アウシュビッツのあとで詩を書くことは野蛮である」 ーアドルノと戦後ドイツ

第6章 「批判理論」の新たな展開 ーハーバーマス

第7章 未知のフランクフルト学派をもとめて

  フランクフルト学派とは、1924年に創設されたフランクフルト大学の社会研究所において活動した知識人グループの総称だ。ホルクハイマー、アドルノ、マルクーゼ、ベンヤミン、さらにはハーバーマス。20世紀の哲学界のスター集団というと低俗に聞こえるかもしれないが、「批判理論」を軸に、学際的な研究を行い、功績を残したという点において、これだけの傑出した学者が集まる例はなかなかないだろうと思う(特に現代において)。20世紀の偉大な先人たちの思想と21世紀の「新たな批判理論」。この2つをテーマに「新書」という限られた容量のなかで「フランクフルト学派」を紹介しようとする野心的な試みをするというこの本を読むことを楽しみにしていた。以下、各章の要点と感想、そして読後の感想を順に記します。

第1章

第1章は、フランクフルト学派の誕生を概観している。まず、時代の背景として、シュペングラー『西洋の没落』、ルカーチ『歴史と階級意識』の2冊を取り上げたのが興味深い。この2冊にはそれぞれ西洋的価値観の終焉、マルクス主義の再構築というメッセージが込められているが、その思想はまさにフランクフルト学派の根幹たるものである。そこに集まった知識人の共通性、すなわち多くが同世代で、裕福なユダヤ人の家庭出身であるということとが混ざり合って、世間を大きく揺るがす「批判理論」が醸成されていったことが想像できるのだ。

 章の後半は社会研究所の所長ホルクハイマーについて。 ホルクハイマーが1930年に研究所の所長に就任し、2年後には研究誌が創刊され、具体的な活動が始まっていく中、ドイツはナチスが台頭していく。ユダヤ系出身者が多い研究所は当然マークされ、ホルクハイマーは教授職を解任されてしまう。ニューヨークへと研究所は「亡命」することとなる。

 

第2章

 ニューヨークに亡命した研究所は、のちのフランクフルト学派において重要な研究が2つ進む。フロムが中心となった「マルクスフロイトの統合」、ホルクハイマーが中心となった「批判理論の定式化」である。この2つは以降のフランクフルト学派の研究の方向を決定づけたものとして注目される。少し詳しく記す。

 マルクスフロイトの、ぱっと見る限り異質な思想を統合すること、少なくともそれを試みることが、初期フランクフルト学派の大事な成果となる。それを推し進めたのがフロムだ。フロムは『自由からの逃走』で有名だが、この本を刊行した当時、既にフランクフルト研究所を離れていた。フロムが、研究所と袂を分かつ以前に、マルクスに強い関心があったフランクフルト学派の内にフロイトの思想を組み込んだ大きな功績があったことがここで語られている。

 マルクスは経済的な状況(下部構造)が人間の意識や文化(上部構造)を規定すると繰り返し主張しています。しかしその際、具体的にどのようなどのような形でその「規定」がなされるのか、踏み込んだ分析をマルクスはしていません。その点で、精神分析が個人の発達過程にそくして提示した人間理解は大きな寄与を果たしうる、とフロムは考えたのです。また、個人が最初にイデオロギーを身につけるうえで家庭はとても重要な位置を占めています。この点からも、父ー母ー子という関係をつうじて自我や意識の形成過程の解明に取り組んだ精神分析は、マルクスの思想を豊かにしうると考えられます。

 以降、フランクフルト学派の研究のなかでファシズムを支える基盤となる諸個人の「権威主義的性格」の解明が大きなテーマになっていったという。

 そして、著者がこの時期の2つの研究のうちの1つとした「批判理論の成立」は当然、所長たるホルクハイマーに由来する。批判(的)理論と対する、デカルトを典型とする伝統的理論は、命題を矛盾なく整合的に提示することを、自らの真理の証とする。その点で、デカルトから20世紀のフッサールに至るまで、基本的に同一であるとホルクハイマーは見なしている。一方で、ホルクハイマーの提唱する批判(的)理論は、命題が矛盾をもたないことを理論の真理の証とはしないという。むしろ、自らが矛盾に貫かれた社会のなかに置かれていること、さらには自らの理論自体がそういう矛盾に満ちた社会の産物であることを徹底的に意識化していると本書は紹介する。その矛盾の受容とも言うべき姿こそが、単に(伝統的思想のように)現状を観察したり記述したりするだけでとどまることがなく、社会の矛盾の廃棄という実践的関心へと私たちを導いていく。そこに多くの人が魅力を感じているのだろうと僕は思ってしまうのだ。

 

第3章

 生前、それぞれユダヤ人として苦しい立場ながら、ハンナ・アーレントと交流があったことで知られ、本書によれば、「二〇世紀にドイツ語で書いた思想家としては、欧米で、あるいは世界で、いまいちばん熱心に読まれ、研究されているひとり」であるのがベンヤミン*1この章ではベンヤミンのある意味悲壮的な人生の歩みと思想の多面性について触れられている。

 面白いのは、ベンヤミンという人物及びその思想には多面性があることである。アドルノにとってはベンヤミンとは芸術論をめぐって論争する相手であり、アーレントにとっては「文人」であるように多様な顔があるベンヤミンは、フランクフルト学派の枠では収まりきれない活躍を見せる。そんな人物もナチスに追われて、絶望の果てに自死を選んでしまう。アドルノはその死に大きなショックを受ける。その後、ニューヨークに移って活動していた社会研究所は「ベンヤミン追悼号」を出版するなどしたが、時代の流れに抗えずに終刊する。ベンヤミンという人物の死はフランクフルト学派にとって、転換期を迎える大きなメルクマールだったのかもしれない。そして、カリフォルニアへと移住したホルクハイマーとアドルノは『啓蒙の弁証法』という記念碑的な著作へと取りかかる。

*1:高校倫理の教科書では出てこない人なので、高校までの知識だとベンヤミンに触れる機会がないのだけれど。