脱力した人の日々。

新書などの読書日記(書評)と教育に関するニュースのクリップを中心に。脱力系ブログ。

中村圭志『教養としての宗教入門 - 基礎から学べる信仰と文化 』(中公新書)

 

 

目次

序章 なぜ「神」と「仏」が区別されるのか

第1章 薄い宗教① 世界の大伝統

第2章 薄い宗教② 神の物語と悟りの物語

第3章 濃い宗教① 信仰

第4章 濃い宗教② 奇跡と呪術

第5章 宗教の仕掛け① 戒律

第6章 宗教の仕掛け② 儀式

第7章 宗教の多様性現代社

資料編 世界の主な宗教 概説

  先日、新幹線の中で読もうと思って購入した本。ちょうど2時間で読めたこともあり、気軽に読める「新書」というカテゴリにふさわしいと感じる内容。以下、ごく簡単にですが感想を記します。

  本書は「教養としての宗教」ガイドである。宗教を信じる必要はないが、その歴史や世界観についての大雑把な知識はもっていたほうがいい。そういう趣旨で書いた本だ。 (「はじめに」より)

 信仰心を持つ必要はないが、宗教を「教養」として知っておいた方がいい。そう著者は言っているようだ。そもそもこの本は宗教を客観的に知りたい、学びたい人が買ったり読んだりする本のはずである。では根本的に問うけれど、なぜ人は宗教を知りたいのだろう?わざわざ信仰心のない人が宗教を知りたがるとはどういうことなのだろう。もちろん、知りたがる人の中に僕も含まれているのだが、はっきりとした答えが思いつかない。あえて言えば「不安」だろうか。宗教への関心を持たない自分たちと言うのは世界のなかでいうと「少数派」にあたる。「彼らはなぜそこまで信仰に篤いのか」「そんな彼らと理解し合えるのだろうか」。生き方の異なる”彼ら”に興味をただ持っているのではなく、知らなければ不安なのだ。

 しかし、そんな「不安がる無信心な僕ら」というのは世界的に現在は少数派である。多くの人が宗教に救いを求めている。と、同時に現代社会の潮流においては「宗教は後退している」とも著者は述べている。各宗教の相対化、社会の個人主義化、資本主義の原理の普及などの「社会システム全体の変化」という事態は宗教家にとって生きにくい時代なのだという。現代社会のシステムの変化は宗教に救いを求める人が増えていることの原因ともとれるし、宗教そのものが成り立ちにくくなっている理由でもあるのだ。相矛盾した現象が同じ文脈から浮かび上がる。それはどうしてだろうか?その問いに答えるために宗教を概観する。そのために生まれた本なのだという本書の意義を第7章まで読んでいくと確認できる。

 この本の前半は、「濃い宗教」(深い信仰を持つ、思い入れが深い)「薄い宗教」(ひとつの社会を覆っている文化としての宗教、社会共通の語意や習慣としての宗教)といった区分けの方法論など、なるべくわかりやすく伝えようとする切り口を採用し、主な宗教の俯瞰を試みている。熟練の研究者だからこそ工夫された切り口であると思う。一方で、後半の「資料編」もわかりやすいが、もっとざっくり知りたければ「高校倫理」の教科書で該当箇所を読むだけでも十分でもあるかもしれない。また、僕が過去読んだ中では

 

ものがたり宗教史 (ちくまプリマー新書)

ものがたり宗教史 (ちくまプリマー新書)

 

 

世界がわかる宗教社会学入門 (ちくま文庫)

世界がわかる宗教社会学入門 (ちくま文庫)

 

 

この上記の2冊のほうが語り口などからしてやや平易かもしれないと感じる(特に学生さんにとっては)。とはいえ、この分量で難し過ぎずそして過不足なく一般市民の教養書として「宗教」についてうまく伝えようとしている点では大変優れた新書であり、オススメできるものだと僕は思います。中公新書のレベルにしては易しめの本でもあると思う。